明治時代は、近江牛が地域を超え、全国区のブランドへと成長を遂げた重要な時代です。
東京への直送開始
1889年に東海道本線が開通し、近江八幡駅が開設されると、翌年には東京への陸路での直送が始まりました。これにより、近江牛は新鮮な状態で東京へ届くようになり、その品質の高さが広く知られるようになったのです。
「神戸牛」との誤解とブランド確立
当時は、出荷港の名前がブランド名になることが多く、神戸港を経由して東京へ出荷されていた近江牛は一時、「神戸牛」と呼ばれることもありました。しかし、直送が始まり、近江牛は独自のブランドとして確立していきます。
近江牛の近代化
明治時代は、畜産も近代化が進んだ時代です。近江牛も例外ではなく、血統管理が徹底され、品質の安定化が図られました。しかし、明治25年には牛疫が流行し、生きた牛の輸送が禁止されるなど、大きな困難も経験しました。
近江牛が果たした役割
明治時代の近江牛は、日本の牛肉文化の発展に大きく貢献しました。その高い品質は、牛肉に対する国民の認識を大きく変え、牛肉が食卓に並ぶ機会を劇的に増やしました。また、地域経済の活性化にも大きく貢献しました。